ふ た り
触れた其の身体は、
あまりに小さく柔らかだった。
少しでも力を入れれで潰してしまいそうで、奇妙な目眩に陥ってしまう。
それでも、此の女に触れたくて仕方が無かった。
曲線を描く乳房と薄い腹を辿り、太腿を持ち上げて柔らかな肉に食らいつく。
『悟空さ』
まるで泣くように、女が呼んだ。
妻の頬が湿っている。そうするのが当たり前だから、悟空は隣で眠る妻の頬を拭ってやった。理由は、すぐに分かった。空気が湿っているのだ。梅雨の明けない早朝。頬よりも湿った布団が、まるで深海の泥のように二人の身体を包んでいる。
──先程の夢は、いつ頃の記憶だろう?
ベッド側の窓のカーテンから、曖昧な光が差し込んでいる。でも、彼の記憶している夢の方がもっと曖昧だった。少しだけ眉間に皺を寄せて考えてみる。けど、答えは見つからない。だから、妻の寝顔を見ながら考えた。答えはすぐ見つかった。此の妻は、いつ何時だって、自分を導いてくる。なんて良く出来た賢妻だと思う。
あれは、ケッコンしたばかりの頃だ。
あの時はふたりとも必死だった。ヒトは形状のないモノ不安にさせられる。若い頃なら尚更だ。だから、ふたりは互いを束縛することに必死だった。支配して、相手が自分の所有物であることを自覚したがった。
心の声が聞こえればいいのに、と思った。聞かせられれば良い、と思った。そうすれば、どんなに互いを想い合っているか感じられる。愛されているか、知ることができる。とにかく、全てが欲しかったのだ。
「おらに指輪を贈ってけれ」
あの頃、チチはよく夫にプレゼントを強請った。結婚指輪を持っているけれど、それでもチチは欲しがった。可哀想なまでに一生懸命に彼女は何度もその要求を口にした。鈍感で無知で馬鹿な旦那は「んなコと言われても、オラ金持ってねぇからなぁ」と返すだけだったけれど。
飽きれるほどに、莫迦らしいほどに、嫌気がさすほどに、真面目に向き合い続けてきた。
色々な顔を持つ互いを知っている。何故なら、誰よりも色々な角度から互いを見つめてきたから。
時には傷つけ合った、時には慰め合った、そして愛し合った。
「チチ」
長年連れ添っている妻の名を、小さく口にしてみる。
「チチ」
いったい、なんど此の名を呼んだだろう。なんど、此の名を憎んだだろう。なんど、此の名を愛しただろう。
悟空の大部分は、この妻によって構成されてきた。そして、今も。
「チチ」
「……なに」
瞼を閉じたまま、名を呼ばれた人が応答する。
「指輪、買いに行こうか?」
「もう必要ないだ」
その言葉に夫の口元は自然と緩み始める。布団の中に隠された彼女の手をそっと両手で包んだ。出会った頃よりも皺が増えた、此の世で一番愛しい妻の手。
「そうだな」と、夫はその指に恭しく口づけを贈った。
梅雨の明けない空。雲の分け目を通り抜け、一筋の眩しい光が地上を照らした。
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