フタツボシ





 「超サイヤ人にも弱点があったか」と、酷く真面目そうにピッコロさんは言っていた。あの人にそう言わしめたのは、僕の母さんだった。確かに、母さんは恐い人だった。幼い頃の僕は、一日に一度は母の怒鳴り声を耳にしていたのではないだろうか、と思う程である。
 母は几帳面で教育に厳しく、「これからはお勉強の時代だから、悟飯ちゃんにはしっかり勉強してもらうだ」が、お決まりのセリフだ。仕事に就かず、修行に励み、自由奔放で時に子供のように振る舞う父とはまるで正反対だった。そんな二人だったから、父さんは(時に理不尽なくらい)一方的によく怒られては、苦笑いを浮かべて懸命に弁解していた。
 「悟空は、恐妻家だよな」
 以前、両親のやりとり見ながら、父さんの親友であるクリリンさんが僕に小さく耳打ちした。多分、他の人も、大多数がそう思っているだろう。僕の父さんはものスゴいヨメをもらってしまったと。

 けれども、僕は知っている。其れは、大きな間違いなのだ。


 実家に戻るのは、一年振りだった。
 木々のヴェールを纏った整っていない道路。近くの無色透明の美しい川では、魚が一匹跳ねている。
 「せっかくの日なのに、一緒に行けなくて残念だわ」
 朝、仕事に行く前に妻が言った一言を思い出した。仕方ないよ、と嗜めはしたが、妻はそれでも残念そうだった。
 時代と共に発展が日々進んでいるというのに、僕の実家の周辺だけはまるで隔離されたかのように、何時だって自然の優しい風景のままだ。都会の喧噪とかけ離れた此の場所へ戻ると、いつだって全てが暖かく僕を迎え入れてくれる。
 にいちゃん、と実家の玄関の前で、悟天が僕に向かって手を振っている。
 「悪い、少し遅れたな」
 車から降りて詫びると、時間ピッタリだよ、と弟は笑った。
 「早いね、もう母さんの2周忌か」
 「あぁ」
 車の後部座席から、途中で買った花束を取り出した。花束の中に数本入れてもらった白い大きな花。此れは母さんが好んでいた花だ。
 実家の扉は開けず、二人連れ立って隣の畑へと足を運ぶ。2年前まではしっかりと手入れされていた畑は、今では手入れをしてくれる人も居ないせいか荒れ放題だ。
 その奥にある小さな墓へ向かう。これは、母さんの為に2年前に建てたもの。
 母が亡くなった時、義理の父であるサタンさんが「都にデカイ墓を建ててやる」と申し出てくれた。けれど、母さんは家が誰よりも好きだったから、サタンさんからの申し出を丁重に断り、此処に建てることに決めた。
 「ただいま。母さん、父さん」
 花束を墓前に置き、どちらからでもなく静かに手を合わせた。

 母さんが亡くなって2年。
 此処には、今では父さんも眠っている。



 父が亡くなったのは、母さんが亡くなって一年と経たない日だった。まるで、母さんを追いかけるように、あっさりとこの世を後にした。──いや、きっと父さんは母さんの後を追いかけたのだろう。母さんが旅立った後、父さんは隠してはいるようだったけれど、文字通り何処か抜殻のようだった。実の所、父さんは母さんに依存しきっていた人だったから。
 他の人に言ったところで、首を傾げられるのはあまりに明らかだが、父さんは母さんが居なければ成り立たない人だった。此れは家族のみが知っている、密かな父の素顔だ。
 父さんにとって、母さんは唯一無二の運命共同体であったに違いない。言わば、父の分身だ。父があれ程までに、自由奔放で無邪気な子供のように生きられたのは、母の存在が在っての賜物だっただろう。母は常に、父の裏役を努めていたように思う。父が子供なら母は大人を、父が自由ならば母は束縛を、父が光なら母は影を。
 子供のうちは、まるで気付きもしなかった。けれど、現在、一子の親として思う。母さんは、父さんの分までも(勿論、父さんだって『親』であることに代わりはなかったけれど)僕等にとっての『親』を努めていてくれた。
 父さんは何時も『甘え』をくれる人だった。母さんは何時も『叱り』をくれる人だった。父の性格を知り尽くしている母は其れを見越して、悪役も買って出てくれていた。だから、時々(父さんには一度もしたこともない)反抗的な態度だってとった。仕方の無いことだけれど、今ではそんな自分を酷く情けなく思う。





 父さんは、世界を守る人だった。
 けれど、母さんには違う。母にとって世界なんてどうでも良かった。
 
 母さんが守りたかったのは、『家族』だった。
 何時だって、そうだった。







 「おら、冒険にでも出ようかねぇ」
 パンの高校受験が終わった春。久しぶりに揃った家族団欒の茶会で、突然に、母さんが言った。その声色は、無邪気な子供が悪戯を企んだ其れに良く似ている。危なっかしい奔放を秘めた声は、開いた窓から見える高い空へと進んで行く。
 「冒険って、おめぇ、どこいくつもりだ?」
 目を丸くした僕や悟天の代わりに、父さんが眉をしかめて問いた。
 「さぁ?予定はねぇけんど、ブルマさんにレーダーでも借りて、とりあえずドラゴンボールでも探すべ」
 「なに神龍に頼むんだよ?」
 「なに頼むべなぁ?思いつかないから、探し終わった後にでも決めるだよ」
 悟空さ、筋斗雲貸してけれ、と昨年から悪くなりだした足をさすりながら、母はまるで子供に還ったように無邪気に笑った。
 「だめだ」
 有無を言わさない口調で、父さんは母さんの願いをはね返した。
 「冒険なんて、オラは許さん。ドラゴンボールが欲しいなら、オラが3日くらいで集めてきてやる」
 断言すると、父さんは冷えきったお茶を一気に飲み干した。あまりに冷えきった声に、僕と悟天はそっと見つめ合ってしまった。
 母さんだけが少し寂しそうな困った様な表情で,父さんをただ見つめていた。


 「そういえば、悟天。お前、子供が生まれるの来月だよな?」
 両親の墓参りの帰り、車で家まで送ってやりながら、思い出した問いを口にだした。この弟は結婚は早くにしたのだが、長い間子供に恵まれず、数ヶ月前、やっと待望の第一子を奥さんが宿したのだ。
 「あぁ、でも予定日より早いかも知れないんだよね」
 「そっか、ちゃんと出産に立ち会ってやれよ」
 言われなくても、と悟天は頷いた。
 「生まれたら、ちゃんと父さん達にも報告しなくちゃね」
 幸せそうに弟はが笑う。元々、弟は父親と顔の作りが酷似していた。だからかも知れないが、彼が笑うと、まるで父親が笑っているような気がした。思わずつられて笑ってしまう。
 「あぁ。きっと二人とも喜ぶぞ」


 母さんは、待つ人だった。
 何度も、何度も、父さんの帰りを待っていた。

 僕を生み育て4年たった後、突然に、地球侵略者の策略により父さんが亡くなり、僕が居なくなって、僕等の帰りを2年半待った。その後も色々あったが、他の侵略者により、また父さんが亡くなって、7年も女手ひとつで僕と幼い弟を育ててくれた。その後も、地球滅亡を追い込む様な怪事件や父さんの性格が原因で、夫の安否を心配しながら、その帰りを待っていた。聞いたところ、結婚の約束をした時も迎えにくるまで6年も待っていたらしい。
 子供の頃は優しく強い父を憧憬の対象として見ていたが、自分が父親という役割の負うようになると、あまりにも自由奔放な父さんに、母さんが哀れに思えて仕様が無かった。母さんは『当たり前の幸せ』が欲しいだけの人の筈なのに。
 僕は、一度だけ、母に其れを伝えてみたことが在る。
 すると、母さんは目を丸くして「悟飯、おめぇ、大人になっただなぁ」と、えらく関心されたのを覚えている。
 お母さん、と抗議しようとする僕を宥め、母は笑って言った。
 「確かに、若い頃は悲しかっただよ。悲しくって、腹が立っちまって、悟空さに何度も怒鳴り散らしちまった。でも、もう悟空さを何年も待ってやってんだもの。あとちょっと待つのだなんて、何とも思わねぇべ」
 それに、今は、おめぇや悟天が一緒に居てくれるしな、と続ける母は、なんとも言えない程に偉大な存在に感じた。
 「でも、もうおらは十分に悟空さを待ってやっただよ。もうそろそろ、悟空さに交代してもらっちまおうかな」
 そう告げる母の後ろで、チチぃ、いま帰ったぞ、と朝から何処かへ行っていた父が扉を開けた。
 
 母さんが亡くなったのは、その数年後だった。
   悟天を彼の家まで送り、自分の帰路へと車を走らせる。 
 次に弟に会うのは、彼の子供が生まれたときだろう。それまでは、お互い仕事が忙しい。昔のように毎日会えないのは少し寂しいことだが、互いに守らなければならないモノがあるし、そんなことは言ってられない。
 時間はいつだって進んでゆく。幸福なまでに、当然のように、残酷なほどに。その中で、悲しみが生まれ、怒りが生まれ、喜びが生まれる。そして、ヒトツの生命が滅び、ヒトツの生命が宿る。

 ───僕等は、止まってはいられないのだ。

 信号が赤に染まったので、車にブレーキをかける。なんとなく、ミラー越しに空を見上げると、仲の良いふたつの星が、夕闇の空にキラキラと輝いていた。
 きっと、明日も晴れるだろう。






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