花 雫




 此れは夢だ、と結論付けたのは別段難しいことではなく。ただ、あまりにも事態が非現実的過ぎたからで。
 普段となんら変わらない、散らかった自室。カップ麺やら駄菓子が散乱したテーブルの上には、つい先日シロサギから巻き上げた億単位の小切手がある。そして、おれが横たわっているグチャグチャの寝台。
 現実といたって変わらない光景。それでも、此れは現実じゃない。決して。
 そう結論付けさせたのは、おれの上に覆いかぶさっている裸の女の存在だ。

 「くろさき」

 女がやけに妖艶な声でおれを呼んだ。色素の薄い髪がさらりと胸まで流れている。
 其の柔らかい髪の毛に触れたいと思い、望むままに手を伸ばして毛先を指に絡ませた。夢だと分かっているから、現実で躊躇してしまうことも欲望の望むままに行動が出来る。おれの行動に、女がひどく楽し気に微笑んだ。
 微笑みを作ったままの唇が、おれの唇に触れた。誘われるままに、唇を吸って隠れた舌を探ってみる。白く柔らかい手がベルトをはずし、ズボンのジッパーを下げた。そのまま固くなり始めた性器を探り出そうとするから、おれは女の背中に手を回して体制を逆転させた。たとえ夢の中だとしても、先に主導権を握られるのは嫌だった。
 おれの反応に、寝台に押し倒された女がクスクス笑う。その反応に少しムッとして乳房を握ると、甘い吐息が耳を掠めた。
 「ねぇ」
 口付けの合間に、未だ吐息の声で女が耳元で囁く。
 「花が枯れてしまうのは、イヤ?」
 なんだよ、それ。ベッドの中で聞くコトじゃないだろう?
 夢の中でも此の女はおれを惑わせたいらしかった。質問には応えてやらずに乳房から薄い腹を辿り、下腹へと徐々に口付けを下げて行く。両手で足を割り、舌で内奥を愛撫すると、身体がびくりと跳ねた。そのまま、場所を変えずに甘く噛んでやる。
 「花は、何時か、枯れるわ。でも、種が残っているなら、また、咲くことが、出来るの」
 切れ切れに伝える声は、もうほとんど泣き声だった。でも此れはカナシイからじゃないってことを、おれは知っている。
 返事の代わりに、濡れそぼった其処にゆっくりと自分を収めた。背中に立てられた爪が、皮膚を破るのを感じた。でも、そんなのどうでも良かった。
 深く深く合わさった身体。粘膜に固くなった性器が滑る。舌を絡め合ったまま、強めに突いた瞬間、押し殺した悲鳴が聞こえた。其れに締め付けられて、溶けた自分を女の胎内に注ぎ込んだ。


 ───そんなの、知ってるよ。
 其れをおれに教えたのは、他の誰でもなく、おまえだろう?


 「あんたのことが、好きよ」と、女が力を抜いた身体のままで呟いた。「あんたは、私のこと、好き?」
 ゆるゆると持ち上げられる瞼。真っ直ぐにこちらを伺う瞳は、不安と緊張の色を帯びている。其れがたまらなく愛しかった。
 触れるだけのキスを何度か繰り返してから、おれはゆっくりと答えを吐き出した。

 「     」



 ピリリリリリ、という着信音に瞼を開ける。
 電話に出れば、案の定良く知っている声がした。仕事だ、というなんとも明確でシンプルな言葉を頂戴した後、名残も残さず切電された。
 大きな欠伸をヒトツしてから簡単な洗顔を済ませた。上着を羽織ってドアを開けると、隣からほぼ同時にガチャリ、と音がする。なんとも良いタイミングで隣の住人が外出するところだった。
 正直(多少な罪悪感も手伝って)顔を合わせたく無かったので、思わず眉間に皺を寄せると、どういうワケか隣人はおれの顔を見るなり顔を紅く染めた。
 「……すけべ」
 実に不名誉な言葉をおれに投げつけ、検事志望はこちらを見向きもせずにさっさと階段を下りて行った。
 ……おい、待て。なんでおれがんなコト言われなきゃいけないんだよ。───まぁ、確かに言われても仕方が無いのだが───だけど。
 「おい」
 呼び止めると、階段を半分程降りた女はピタリと動きを止めた。
 「おれは、別に花が枯れるのは嫌いじゃない」
 其れだけ告げると、女はこちらを振り返って目を大きく見開き、少し赤らんだ顔でキレイに微笑んだ。

 行ってしまった女の影を目で追いながら、おれも後を追って階段を下りて行く。階段の登り口の端に小さな花を見つけた。名も無い其の花は、風にゆられてユラユラと身体を揺らしながら、太陽の光を浴びて何よりも光っていた。







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