E t e r n a l l y




 「38度6分。……風邪ね」
 渡した体温計を見ながら隣部屋の店子が眉を寄せた。
 38度6分。どおりで身体が怠い筈だ。……まぁ、此の女が(2日遅れの)家賃を払いに来るまで気付かなかったけれど。
 昨日の朝方に喉に根を張った小さな棘は、今朝では体温計の示す熱にまで成長を遂げたらしい。きっと昨日突然降って来た雨に身体をびしょ濡れにされたのも原因のヒトツかも知れない。
 「普段インスタントものばっかり食べてるでしょ?だから、こんな変な時期に風邪引いちゃったりするのよ」
 店子が水銀体温計の目盛りを振って戻している。
 「ねぇ、救急箱はどこ?風邪薬持ってるの?」
 「おい」
 「なによ?」
 「お互いに干渉しないって約束は?」
 「したわよ。だけど、わたしは病人を看護しないとは約束してないわ。来月の家賃支払日の時に、腐乱死体と遭遇したら堪らないもの」
 ……言うようになったじゃねェか。
 「テレビの下の棚」
 痛む喉で告げると、女は言われるままにテレビの下の棚から救急箱を見つけ出して中身を確認した。「風邪薬、入って無いじゃない」
 「仕方ないからわたしの薬分けてあげる。ちょっと待ってて」
 そう言って、おせっかいは部屋を出て行った。ドアが確りと閉められるのを見届けると、おれの瞼はゆっくりと閉じていった。

 熱に浮かされて意識を飛ばしていた間に、時計の針は既に午後を指していた。
 「あ、起きた」
 何時の間にやら勝手に部屋に入って来たらしいビンボー女が、おれの額に手を乗せてまた眉を寄せた。どうやら、熱はまだ下がっていないらしい。喉もまだ痛みを帯びている。
 「おかゆ作って来たから。何か食べないと、薬飲めないでしょ」
 差し出された病人食に今度はおれが眉を寄せる番だった。正直、食欲は無いし、また別の理由でも食べることを留まった。すると、その様子を見ていた店子に「あんた、インスタントものと一緒に薬飲むつもり?」とニラまれた。さすがに今のコンディションで添加物のぎっしり詰まった食物を口に運ぶ気にはならないし、こいつの言う通り、何かを食べる必要がある。おれは節々の痛む身体を起こし、小さな椀を受け取って、ゆっくりと口に入れた。舌に薄い膜が張ってしまったかのように、正確な味を感知出来なかった。それでも、数年振りに食べた手作りの料理は、ひどく温かかった。ひどく優しかった。
 椀の中身を休み休み食べ終えると、自分の部屋から持って来たらしい解熱剤と喉の炎症を抑える薬と水の入ったコップを手渡された。
 「そういや、おまえ、学校は…?」
 思った以上に弱々しい声で、今更ながら思ったことを口にした。
 「今日は日曜日でしょ。学校はお休み」
 納得しながら、二種類の薬を水と一緒に飲み込むと奇妙な異変に気付いた。……なんだか、寝る前よりも部屋が広いような。
 「部屋、少しだけ片付けたわよ。部屋がゴミ溜だと、治るものも治らないもの」
 おれの疑問を読み取ったらしい店子がすかさず回答を寄越した。………って、おい待て。片付けた?
 「なッ!おまえ、何か勝手に捨てたりしたのか!?」
 出ない声で荒げると、女はムッとして頬を膨らました。
 「私にだって常識はあるんだから、ゴミだってはっきり分かるものしか捨てないわよ。カップ麺とかお菓子の包み紙とかは捨てたけど、書類とかワケ分かんないものは、あっちに置いてる」
 後で絶対確かめてやる。そう決意したおれの両肩を掴んで、おっせかい女がおれを布団へと押し戻した。
 「いいから、寝なさい。ちゃんと寝て、熱を下げなきゃ」
 どう考えても、こいつの言葉は正しかった。
 「………分かった」
 いつものイヤミな言葉が出なかったのは、きっと熱のせいだろう。
 感謝の言葉も労りの言葉も言っていないのに、それでも此の女は酷く満足そうに笑った。……なんだよ、其の顔。

 変な女。
 せっかくの休みを棒に振ったってのに。病人の看病をさせられたってのに。部屋の片付けまでさせられたってのに。
 なんで、おまえは笑ってんだよ。

 午前中に寝て、これ以上寝れないだろうという予想は簡単に外れて、おれは再び眠りに入った。



 夕闇に翳る部屋。
 現実と夢の境で、おれを呼ぶ声。

 「黒崎」

 返事がしたくても、何故だか声が喉を通らない。
 相手を認識したくても、瞼が開かない。

 「寝てるの?」

 額を撫でる掌が、心地良い。
 返事がしたいのに、どうしても声が喉の外に出ていかない。

 「黒崎」

 声を通さない喉。
 せめてと、おれは腕を伸ばし、額にある掌を強く握りしめた。

 







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