c o m p r e h e n s i o n
『理解』する為には、其の受けた痛み、哀しみ、喜びや怒りを知る他無い。けれど、同じモノを身体に請け負ったとしても本当の意味で理解するというのは難しいことだろう。だって、ヒトは別の個体には成り得ない。別の個体が得た衝撃に対しての『カンジョウ』をそのままの容積と形状で共有することは出来ない。───どうやったって、他人の『カンジョウ』は理解がし難い。
しかも、その理解したいと願う他人が其れを拒んで入れば尚更だ。彼の、鋼鉄のように冷たくて寂しくて哀しいココロの壁は、出逢って長く経つというのに、何処までも私を拒んでは侵入を決して許してはくれない。
「おまえ、今日で支払期日から何日経過してるか知ってるか?」
「……10日」
回答を聞いた彼の目が細まって私をニラむ。現在の時刻は、通学時間5分前。一般常識人には決して早くない時間帯だ。けれど、一般常識人には(かなりの高確率で)当て嵌まらないであろう彼にはとっては、そうではないらしい。私をニラんだ眼が眠た気にそう訴えている。
「2週間だよ、このバァカ」
私から封筒を奪うように取ると、失礼にも中身のお札を途中まで引っ張りだして枚数を確認し始めた。目を丸くしたまま、私は思わず抗議をせずには居られなかった。「失礼ね、家賃ちょろまかしたりしないわよ」
「支払期日守んねェヤツに言われたくねぇよ」
大きな欠伸が一つ上げながら、私より太い指が慣れたように枚数を数え上げてゆく。「ん。きっちり4万2千円入ってるな」
「……ねぇ」
「うん?」
ほんの数分まで私の所有物だった数枚の日本円札が、男の手で封筒へと収められてゆく。
「昨日は、シゴトだったの?」
彼は視線だけを私に向けて、口元だけを上へとあげていく。徐々に暗い色へと変化し始める瞳と共に。「あぁ、そうだ。昨日から今朝方までシゴトだったんだよ」
此の冷たい哀しい笑みを、彼はよくシゴト場で披露しているのだろう。私が良く知っていて良く知らない、彼のシゴト場。
「午後にニュース見てみな。きっとお前でも知ってる会社の社長サンが偉い目遭ってるぜ」
冷徹な瞳が、冷徹な笑みが、成功したらしいシゴトの報告を嬉しそうに告げる。
闇の中にある彼のシゴト。黒崎は陽の当たらないところで生きるコトを選び、そのシゴトを選んだ。其れを彼が選びざる得なかった理由は、其処の知れない暗くて寂しいところに存在している。
「……そう」
ようやく私の喉が2文字を吐き出す。けれど、黒崎は私の言葉が気に喰わなかったらしく「何だよ、それ」と、眉をしかめた。
「ツマンねぇ反応だこと」
「何よ、じゃあどんな反応すれば良いのよ?」
思わずムッとしたが、彼は何でもないように首をすくめて両手を挙げた。
「さぁ?」
「さぁって、何よ」
そう言い返そうとした開いた私の口を、黒崎の其れが塞いだ。突然のことで状況を理解出来ずに呆然とする私の身体を太い腕に縛られたかと思うと、彼の部屋に引っ張り込まれ、そのまま片腕がすばやく部屋のドアを閉めた。カーテンを閉め切っている部屋には、光が入らず暗闇だけが占拠している。
「ま、待って。ちょっと、くろさき」
やっと解放された唇でストップをかけようとしたものの、彼は無視して行為を続けてゆく。片手が上着をたくし上げ、片手が乳房を覆った。声を上げそうになり、私は慌てて彼の肩に顔を埋めた。
クロちゃんは何処にいるのだろう?と目だけで彼の飼い猫を探したけれど、ベルトを解いてゆく彼の手に翻弄されて、すぐ何も考えられなくなった。
初めて黒崎が心情を少しだけ吐露し、涙を見せた日。彼は其の代償だと言わんばかりに、私の身体を暴いた。なかば乱暴をされるように、私は黒崎に所有された。それからというもの、此の男は思い出した様に私の身体を求め続けてくる。私には、抵抗できる理由が無い。
行為は何時だって酷く慌ただしく、酷くせっかちなものだった。普段は自分のテリトリーに他人が近づくだけで嫌悪するくせに、行為の時は何時だって私を部屋に引っ張り上げては身体を結合させてゆく。
彼の早鐘のような鼓動の下で熱を上げながら、私はいつも想う。無理矢理に身体を擦り合わせる此の行為は、まるで幼子のソレに似ている、と。
無条件で愛されたいと願うような、温かく抱きしめて欲しいと願うような、無防備に愛を乞うような、
─────黒崎はきっと求めてるのだ。彼も知らない、心の小さな奥底で。
今期は皆勤賞を狙ってたんだけどな、と正午過ぎを示すベッドの近くのテーブルに置かれた置き時計を見ながら、私は学校へと思いを馳せた。今日のお昼休みはゆかりと外へランチに出かける筈だったのに。もしかしたら、ゆかりから携帯にメールが届いているかも知れない。けれど、私には其れを確認する術が無い。背後から回された腕に妨害されて、ベッドから身動きが取れないのだ。
私の背中に顔をくっつけている男から響く、小さな寝息。今は確認が出来ないけれど、以前観た彼の寝顔は何処までも無防備だった。過酷なシゴトをし続けているとは考えられない、屈託ない彼の子供のような寝顔。
「おまえなんかにわからない」
以前、彼はそう言い放った。哀しくなる程の寂し気な声で。
黒崎の言う通り、私は理解が出来ないだろう。シゴトのことも。彼のことも。彼の心に潜む闇ことも。第一に、私が其れ等を理解することを黒崎自身が拒絶していて、触れることすら私はさせてもらえない。理解だなんて、そんな域には全く達していないのだ。
それでも、私に絡み付いて離れないふたつの腕。
彼が本当に必要としているモノ。其れを彼は酷く拒絶している。嫌悪して遠ざかっては、好んでも居ない孤独を決め込んでいる。本当は其れを得ている人々が、妬ましくて、羨ましくて、どうしようもないくせに。
出来ることなら、私が少しでも彼に与えられるなら、と願う。傲慢なことかも知れない。ただの自己満足かも知れない。けれど、
コチコチ、と時計の針の音が、暗い部屋に響く。背後で黒崎が小さく身じろいだ時、にゃおん、と窓の外で黒猫の鳴き声がした。彼のふたつの腕が私に確りと絡み付いたまま、時間だけが遠くへと進んでゆく。
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