<生と死の器>
その少年・・・十代半ばの少年は、不治の病に臥せっていた。
彼は生まれつき病弱で、ずっと家の中で過ごして来た。
両親は資産家で、家を空ける事が多かった。
その両親が事故で帰らぬ人となってからは、
莫大な遺産を巡った駆け引きが一族の間で果てしなく続いていた。
彼は執事や大勢のメイドと共に暮らしてはいたが、彼と親しくする者は誰も居なかった。
そして・・・彼は今、山奥の別荘で一人ベッドに横たわっている。
そんな余命幾何も無いこの少年の眼に”彼女”が映る様になったのは、いつの頃だろう。
初めて彼女を見たのは、彼の6歳の誕生日。
仕事で帰れない両親の顔を思い浮かべていたあの時。
飾り気のない白いワンピースを着て、うっすらと微笑むその少女は、
ずっと彼を、ベッドで俯く少年を、ただじっと見詰めていた。
ふとその視線に気付いた彼は、その少女を不思議そうに見詰め返した。
しかし一瞬だけ目を離した隙に、彼女は霧の様に消えてしまっていた。
それからと言うもの、時折彼女は少年の前に現れ、彼を静かに見詰め、そして消えた。
周りの者に尋ねても、その少女を見たと答えられた事は、一度たりとも無かった。
10年余り経った今も、それは変わらない。
・・・いや、今は少しだけ、しかし大きく違う。
そう、今や美しく成長した彼女は今、彼の傍らに佇んでいる。悲しげな笑みを湛えて。
「君は・・・いつもそうして僕を見ていてくれたね・・・。」
彼女は黙って彼の眼を見詰めているだけで、それに答える事は無い。
「・・・君はまるで・・・そう・・・天使みたいだね・・・。」
その言葉に、彼女は静かに首を横に振る。そして・・・
「私は、貴方の・・・」
「!・・・初めて、喋ってくれた・・・。
 この十年・・・僕はずっと君と話をして見たかったんだ・・・。」
その透き通る様な声を聞いて、彼は思わず声が上ずってしまう。
「僕に、僕にもっと勇気があれば・・・こんな風に話さ・・・ゴホッゴホッ・・・!」
顔色が悪い。起き上がる事も出来ない彼の手に、彼女はそっとその手を置いた。
「私は・・・貴方の『死神』です。」
「・・・そうか・・・だから僕にしか見えなかったのか・・・。」
無理に笑おうとするが、彼の身体を蝕む病がそれを拒む。
「僕を迎えに・・・十年も前から・・・?」
また、彼女は首を振る。そして、優しく語り始める。
「人は・・・いえ、全ての生き物は、生まれた時に『命の器』を持って生まれて来ます。
 そして、それと一緒に『死神の器』も創られます。
 全ての『命の器』には、小さな穴が空いています。
 その穴からは『命』が流れ出すのです。
 そしてその流れ出た『命』は、『死神の器』に流れ込みます。
 私達『死神の器』は、その『命』が流れ込む事によって成長して行きます。
 或いは急速に、或いは永い時を掛けて・・・。
 そして、私達が完全に大人になった時・・・」
少年は眼を閉じ、静かにその言葉を聞いていたが、その意味を悟ると、
死神と名乗った少女を見上げながら、落ち着いた調子で口を開いた。
「それで・・・君ももうすぐ大人になるんだね・・・。」
彼女は黙って頷いた。
「そう・・・君は・・・他の『器』よりも早く大人になるんだね・・・。」
「・・・貴方の『器の穴』は、他の人より少し、ほんの少し大きかっただけ・・・。」
彼女は、まるで励ますかの様に、彼の弱々しい手をぎゅっと握り締めた。
「僕は今迄、学校という所に行った事も無かったから、
 友達と呼べる人は、誰も・・・一人も居なかった。
 だから友達って、どういうものなのかが、僕には解らない・・・。
 でももし・・・友達と呼べる人が居たとしたら・・・
 それは多分、君の・・・ゴホッゴホッ!・・・ゴホッ・・・」
眼が霞む。もう、彼女の顔すらもはっきりと見る事が出来ない程に。
そして荒い息と共に、掠れた声でゆっくりと、小さく言葉を紡ぎ出す。
「・・・あぁ・・・君の・・・ハァ・・・大人に・・・った・・・姿を・・・
 ハァ・・・、見・・・れ・・・くて・・・ざん・・・ね・・・」
少年の、この世で最期の言葉が当に消え入らんとするその刹那、
乾いた彼の唇に、静かに離別の口づけが交わされた・・・。
西の空に浮かぶ一つの影・・・背中の白い翼で羽ばたく美しい女性のその胸には、
最早輝きを失った、小さな何かが抱かれていた。
既に全ての役目を終えた、何も語る事の無い、空の『器』・・・。
しかしその『器』は、不思議な事に暖かな色彩を放っている。
それは、夕日に赤く照らされているからなのであろうか。
そして・・・優しく光るその小さな『器』に、
たった一つだけ、雫が零れ落ちた様に見えたのは・・・気の所為では無いだろう。
                                  [終わり]

戻る

2style.net