Blaze&Blade
       〜砂の魔女〜
夕暮れの街。そろそろ酒場が賑わい始める頃だ。
ここは「キッドの宿屋」と呼ばれる、冒険者達が集う場所。
そこの酒場のマスターが、荒くれ冒険者に今日の成果を聞いている。
「調子はどうだ?」と言うマスターの口癖が、酒の肴だと言う者も居る。
彼らにとって、ここは我が家も同然なのだ。
・・・また一組の冒険者が帰って来た様である。
「あ〜ぁ、今回は散々だったネ〜。」
「全くよ・・・ってルゥケット、アンタの所為じゃないのよ!」
「だからそれはもう謝ったじゃないか〜ぁ、許してよフェリア〜ン。」
フェリアンと呼ばれた魔術師風の少女と、
背中に羽を持つ少年・・・フェアリーのルゥケットが、
酒場に入ってくるなり言い合いを始めてしまった。
それを見たマスターが困り顔をしていると、一人の神官が割って入る。
「二人共、余り騒いでは・・・」
「うるっさいわねぇ、アンタは引っ込んでなさいよ!」
そう言われて、その青年は思い切り突き飛ばされる。
と、カウンターの方に転がって来たので、マスターが声を掛ける。
「大丈夫か、ロエミール?」
「えぇ、何とか・・・」と、逆さ向きで答え、溜め息を吐く。
幼馴染みに突き飛ばされて、もう止める気も無くなった様だ。
するともう一人、目付きの鋭い女戦士が入って来たので、
「ねぇカーシァ。何とかなりませんか?」とそのままの体勢で尋ねると、
「ならんな・・・。」と、ぶっきらぼうに答える。
そんな彼女の手を借りて青年は起き上がると、一礼し、
「終わるまで待ちましょうか・・・。」と呟いた。
その言葉に、マスターとその周りの数人が頷く。カーシァは最初からそのつもりの様だ。
「・・・で、どうだ、調子は?」
言い争いが続く中、酒の肴を得た者達が、嬉しそうに乾杯を始めた・・・。
[前編]
 <水辺に咲く花>
次の日の朝。
「お、何だフェリアン。今日は早いな。」
朝食の用意をしながら、マスターが起きて来た少女に声を掛ける。
「うん・・・おはよ・・・」
彼女は眠そうな目を擦りつつ、これまた眠そうな返事を返す。
「フェリアンがこんなに早起きするなんて、今日は雨でも降るんじゃない?」
「うっさいわねぇ・・・ふあぁ〜ぁ・・・」
大きなアクビと共に少年の頭を小突きながら、カーシァの隣の席に着く。
「でも、本当に珍しいですね。ねぇカーシァ?」
とロエミールが聞くと、声に出さずに、彼女はコクリと小さく頷く。
「ハイハイ、ど〜せアタシは”ねぼすけ”ですよ〜だ・・・」
そう言うと、テーブルに凭れ掛かってしまう。
「う〜・・・眠い・・・」
「お行儀悪いですよ、フェリアン。」
「何か食べるか?」
などと話をしていると、誰かが入って来て、透き通る様な声で話し出す。
「あら、フェリアン。今日は早いのね。」
「エレンまでそんな事ゆ〜んだ・・・い〜もん、このまま寝ちゃうから・・・」
エレンと呼ばれたこの少女、フェリアンとは仲が良い。
いつもハーブを持って来るので、薬草娘とも呼ばれている、明るい娘だ。
だが今日は、少し元気がない。と言うか、表情が暗い。
「どうした、エレン?何かあったのか?」
それに気付いたマスターがそう尋ねると、その少女は少し躊躇ってから語り始める。
「えぇ、実は・・・ウチのおじいさんが・・・」
「え?あのじーちゃんがど〜かしたの?」
「そうなんです・・・最近歳の所為か、あまり薬草を採りに出掛けられなくて・・・」
ルゥケットが横槍を入れると、律義に体ごとその方向を向いて続ける。
「それで・・・誰かに採って来て頂けたらと思って・・・」
「それを頼みに?」
「えぇ。お金も余りありませんし、図々しいとは思ったのですけど・・・」
すると今度はロエミールの方を向きながら答えた。
「それなら・・・お前達、暇だろ?」
今ここには、マスターとエレンと、後は四人しか居ない。
”お前達”とは、当然カーシァ達の事だ。
「そうだけど・・・それってどの辺なの?」
いつの間にか起きていたフェリアンが、彼女に聞くてみる。
「うん、西の湖の近くに、おじいさんの知り合いの方が住んでて・・・」
「え!?あの湖の方に行くんですか?あの辺りには強いモンスターが・・・」
「じゃぁアンタは来なくて良いわよ。三人で行きましょ。」
「そ、そんなぁ・・・」
そんな遣り取りをしている内に、エレンの表情はいつも通りに戻っていた・・・。
「本当にいいの?何だか悪いわ・・・」
頼みを聞いてもらっても、彼女はまだ悪いと思っているらしい。そういう性格なのだ。
「お金なんて要らないわよ。アタシとエレンの仲じゃない。」
「そ〜そ〜、気にしない気にしない。」
「・・・ありがとう・・・。」
フェリアンとルゥケットに諭されて、やっと納得した様で、彼女は素直に礼を言う。
「あら、アンタも行くの?怖かったら別に付いて来なくても良いのよ。」
「行きますよ、行きますとも。べ、別に怖くなんか・・・」
「で、その花を貰って来れば良いんだよネ?」
目的の薬草は、通称<親指花>と呼ばれている。
五枚ある花びらの内、一枚だけ大きなものがある事から、そう呼ばれているのだ。
「えぇ、このカゴに一杯で良いですから・・・」
そう言って、エレンはカゴを一つ手渡す。
「・・・行って来る・・・。」
「そ、それでは行って来ますね・・・。」
「ちゃっちゃと行って来るから、大船に乗った気でいてよね。」
「それじゃ、行って来るねェ〜。」
と、四人はそれぞれ「らしい」台詞と共に歩き出す。
「無理するんじゃねぇぞ。」
「気を付けて・・・」
見送りに来て居たマスターとエレンの言葉を背に、一行は街を後にした。
少しして、森の入り口まで来た所で、四人は立ち止まっていた。
山に行くか森を進むかで揉めているらしい。
「森は危険じゃないですか・・・?」
「山登りなんて、かったるいから絶対嫌よ!」
・・・とまぁこんな感じで、慎重派と我が儘で、意見が割れているのだ。
「も、森だと迷うかも知れませんよ?」
「だったら山だって崖崩れがあるかも知れないじゃない!」
「オイラはどっちでも良いけど・・・。」
この辺りからは、今までよりも強い魔物が棲んで居る。
だからロエミールは、必要以上に慎重になっているのだ。
しかし「魔物が強いから」とは決して言わない。怖がっていると思われたくないからだ。
「じゃぁどうしろってのよ!?」
「だ、だからもう少し考えるべきだと言ってるんですよ・・・」
「あ〜もぉいい加減に止めなよ!こういう時はカーシァに訊いて見よーよ。
 カーシァならこういうの得意だろうし、一応リーダーなんだしサ!」
「そうね・・・良いわよ。」
「それが良いですね・・・。」
『で、どっち!?』と、一斉にカーシァの方を見て問い掛ける。
すると彼女は、戸惑いもせずに、ある一点を指差す。と同時にそちらを向く三人。
「・・・真ん中・・・?」
「どうしてです・・・?」
それにはルゥケットが答える。
「山にも森にも、直ぐに逃げ込めるから・・・だと思うヨ。」
この三人の中でカーシァとの付き合いが一番長いので、すぐに解ったのだ。
「カーシァらしいと言えば・・・」
「らしいですね・・・。」
お互い顔を見合わせて、その結論を受け入れる。先程迄の事が嘘の様だ。
「決まった決まった。もう文句言わないでよ、フェリアン?」
「わ、判ってるわよ・・・。」
そして一行は、山と森の境目を沿う様に、再び歩き始めた・・・。
丁度森が終わった所で、急にカーシァが立ち止まった。
「どうかしましたか・・・?」
とロエミールが尋ねると、彼女はそれを手で制す。
一行の間に緊張が走る。カーシァは無駄な事は絶対にしない。皆それを良く知っている。
だから、何かがあったのだ。三人はそう理解した。
ここは左右が少し切り立っていて、ちょっとした谷の様になっている。後ろは森だ。
彼女は身を低くして、耳を澄ます。どんな小さな音も聞き逃さない為に。
その行動を見て、ルゥケットがロエミールの肩に留まって、手で口を塞ぐ。
音を立ててカーシァの邪魔をしない様に。彼の羽音すらも彼女にはノイズになるのだ。
すると目の前の地面に、一瞬影が過る。それを見たカーシァは、素早く上を見上げる。
その直後、左手の崖の向こうから、何かがこちらに飛び出した。
「キャオォォォゥッ!」
それは、翼を持ったトカゲ・・・小さなドラゴンの様なモンスターだ。
小さいとは言っても、人間よりは遥かに大きい。
「あ、あれは・・・ワイアーム!」
とロエミールが叫ぶ。こういう知識は豊富らしい。
「って事は、この向こうはもう湖なのね。」
「そんな事言ってる場合じゃないヨ!どうするの!?」
「森へ走れ・・・!」
カーシァはそう言うと、剣を抜き楯を構える。
言われて、一斉に森目指して走る三人。それを守る様に、女戦士は立ち塞がる。
そして翼竜との睨み合いが暫く続いた後、
「カーシァ!」というロエミールの掛け声と共に、急に振り返って走り出す。
虚を突かれたワイアームは、一瞬遅れてその後を追う。
しかし、軽目の装備とはいえ一通りの武装をしている彼女は、徐々に差を詰められる。
3m・・・2m・・・1m・・・。そして遂に追い付かれる、という時に、
「伏せて!ブレイズッ!」
と、間一髪でフェリアン得意の炎の魔法が、伏せたカーシァの頭上を掠める。
「ギャオォォォゥッ!」
翼竜は寸前で上昇したのか、直撃は免れた様だ。が、相当のダメージなのは変わりない。
「今です、ルゥケット!」
「判ってるヨ・・・エンチャント・アースッ!」
それは一時的に武器に大地の力を与える魔法だ。
違わず、彼女の剣に大地の精の力が宿る。
ワイアームは空の住人。風の精の影響を強く受けている。
そういう者達には、大地の力が有効なのだ。
カーシァは起き上がり、その剣を構え、手負いの相手を見据える。
空中で一回転した翼竜は、仕留め損ねた獲物を目掛け、急降下して襲い掛かって来る。
その刹那、飛び上がった彼女と、それを噛み砕こうとする魔物とが交差する。
そして・・・一瞬の間。
カンッカラカラカラーン・・・金属音。剣が落ちた音だ。
「ギャオォォォォォォゥッ!」
次の瞬間、ワイアームが地面に倒れ込む。首から大量の血を吹きながら。
『カーシァ!』と言いながら、三人が勝者に駆け寄る。
が、彼女は膝を付いて立ち上がらない。
近付くと、右肩の辺りを押さえているのが判る。
押さえた手の下からは、血が流れ出て止まらない。
どうやら、翼竜の牙は躱したが、鋭い鉤爪にやられたらしい。
鎧の肩当ての部分がパックリ割れて、肌が見えている。
「大丈夫ですか・・・じっとしてて・・・」
ロエミールは言うと、傷口に手を添えながら、目を閉じて何かをブツブツ呟いている。
「・・・ヒーリング・・・。」
すると見る見る内に、肩の出血が引いて行く。
そう、プリーストである彼には、神の力を借りて傷を癒す事が出来る。
「すまない・・・」と短く言う。彼女にとっては、これが最大級の礼なのだ。
「気にしないで下さい、僕にはこの位の事しか出来ませんから。」
謙遜なのか本気なのか、ロエミールはカーシァにそう言った。
「ねぇ、早く行きましょう。またこんなのが来たら堪らないわ。」
「うん、そうだよ。目的地も近いみたいだしさ。」
二人の言葉に、カーシァとロエミールの二人も頷く。
そして四人は、足早に川の方へと向かって行った・・・。
遠くに川が見えて来た。川の辺には小さく小屋も見える。
「あ、アレじゃないのかなぁ?」
「その様ですね・・・。」
「あぁ、やっと着いたわ・・・ん、雨?」
突然のスコール。フェリアンの予想通り、ルゥケットが付け加える。
「やっぱり!フェリアンが早起きなんかするからだよ〜。」
「今、絶対言うと思ったわ!だったら何で雨具持って来てないのよ!」
「そんな事より、あの小屋まで走りましょう!」
・・・と、全員が走って小屋に辿り着く頃には、もうすっかり雨は止んでいた。
「はぁ、はぁ・・・走って、損した・・・はぁ・・・」
「ぜぇ、ぜぇ・・・でも、早く着きましたよ・・・」
二人が息を切らせている横で、
「二人共だらしないなぁ、オイラ達を見習いなよ。」
「はぁ・・・アンタは、飛んでるから、いいでしょうよ・・・はぁ・・・」
フェアリーは、半ば魔法的に飛んでいるので、大して疲れないのだ。
「でも、流石はカーシァ。全然息上がってないね。」
「あぁ・・・。」と、さらりと言う。
「信じらんない・・・はぁ・・・どーゆー体力、してんのよ・・・?」
「鍛え方が、違うんでしょう・・・ぜぇ・・・昔から・・・。」
などと小屋の近くで話していると、中から中年・・・いや、初老の男性が出て来た。
「何だね、お前さん方。見た所冒険者の様だが、何か用かね?」
「・・・えぇ、実は、頼まれ事がありまして・・・。」
と、やっと呼吸の整ったロエミールが、その男性(樵の様だ)に答える。
「頼まれ事・・・?一体何だね?」
「えっと、<親指花>ってゆー薬草を貰って来てくれ・・・って。」
今度はルゥケットが答える。すると、
「あんたらもしかして、あの爺さんの使いかね?」
「正確にはその孫のエレンだけどね。」とフェリアン。
「おぉ、あの子の頼みか。・・・はて、何であの爺さんじゃないんだ?」
「その事ですが・・・」
そう言って、ロエミールが説明をすると、
「そうか、あの爺さんも大分歳だからなぁ。・・・それで、あの花なんだが・・・」
「何か、問題でも?」
「うむ・・・あの花は、この川の少し上流の滝の上で採れるんだが・・・
 最近、あの辺りが何者か・・・多分モンスターに荒らされてしまってな・・・」
「それで、手に入らないんですか!?」
「いや、手に入らなくもないが・・・少し危険なんだよ。」
「危険?」
「そう・・・滝の上の更に上流に、小さな湖が在って、そこに生えてはいるんだが・・・
 そこには、凶暴な魔物が棲み着いているんだよ。」
「きょ、凶暴な魔物・・・?」
「うむ。だから諦めた方が賢明かも知れんぞ?」
「ど、どうしましょう?」
「どうしようって、引き受けたんだから、行くしかないでしょう?」
ロエミールが暗に示した選択肢を、フェリアンが無慈悲に否定する。
「やっぱり・・・あんたらはそう言うと思ったよ。」
「当たり前だヨ。折角ここまで来たんだもん、このまま帰る訳ないじゃん。」
「そうですよね・・・行かなきゃいけませんよね・・・。」
肩を落としてロエミールが力無く言う。
「行くのなら止めはしないが・・・取り敢えず上がりなさい。そのままだと・・・」
「は・・・は・・・はぁ・・・っくしゅんっ!」
「そのお嬢さんの様に風邪を引くからな、はははは・・・」
はははは・・・と皆が笑う。フェリアンは頬を膨らませ、外方を向いてしまった。
しかしそんな遣り取りの中、カーシァだけは、やはり黙っていた・・・。
「摘んでから余り保たないんですか?」
暖炉で暖まりながら、ロエミールが樵に問い正す。
「あぁ。いつもはあの爺さんが直ぐに手を加えて、長持ちする様にするんだが・・・」
「おっちゃんは出来ないの、それ?」
「私はただの樵で、薬草には余り詳しくないんだよ。」
ルゥケットが羽を乾かしながら聞くと、樵はパイプに火を点けながら答えた。
「そうすると、帰りは山を通る事になるわね・・・その方が早く街に着くわ。」
「山登りはイヤなんじゃなかったの、フェリアン?」
「そうも言ってられないでしょ。間に合いませんでした、なんて洒落にもならないわ。」
無駄足なんて真っ平ゴメン。そう言いたいのだろう。
「それなら、今日はここに泊まって行きなさい。山を通るならその方が良い。」
「そうですね、それならお言葉に甘えさせて頂きましょうか。良いですよね?」
他のメンバーに確認を取るロエミール。それに反対する者は居ない。
「それでは一晩だけお願いします。」
「あぁ、気にする事は無いよ。ゆっくりして行きなさい。」
太陽も沈み始め、辺りが朱に染まり出す頃、冒険者は幸運にも一晩の宿を得た。
「何してんの、カーシァ?・・・あ、鎧直してたんだ。」
先程の戦闘で壊れた肩当てを、カーシァは自分で修理しているのだ。
修理と言っても、ただ隙間を埋めるだけの、簡単な応急処置程度だが。
彼女の鎧は、急所を覆う部分は金属で、その他の部分は煮革で作られている。
防御力を保ちつつ、可能な限り軽くなる様に工夫されているのだ。
更に、継ぎ目に特別な油を塗り、音が起ち難くなってもいる。
ついでに言うと、楯は木製の円形で、金属の補強が為されている。
「ところで、肩大丈夫?」
「あぁ、心配無い・・・。」
「そっか、それならいーんだ。」
この少年は、普段はイタズラ好きなのだが、根は優しい子なのだ。
「明日は大変だね。今日はゆっくり休まなきゃネ。」
「あぁ、そうだな・・・。」
「な〜に二人で話してるのよ?」
「何でもないよ〜っだ。」
そう言って、イタズラ好きの少年は部屋の中を飛び回る。
「あ、生意気〜。こらっ待ちなさいよ!」
フェリアンは、逃げるルゥケットを追い回し、ロエミールの頭を踏み越える。
「ヒ、ヒドイ・・・。」
その光景を見ながらカーシァは、人知れず僅かに微笑んだ。
「本当に、有り難う御座いました。」
「なに、大した事じゃないさ。それより、気を付けて行きなさい。」
「うん、分かってるよ。おっちゃん、元気でね。」
「おぉ、君達も元気でな。・・・決して無理するんじゃないよ。」
「大丈夫よ、無理なんてしないから。」
「無茶はするけどネ。」
「うるっさいわねぇ、アンタはいつも一言多いのよ!」
と言って頭を叩こうとするが、ルゥケットはそれを避け、
「残念でした」とばかりに舌を出す。
「・・・こ、このガキャぁ・・・。」
ボソッと呟いたフェリアンは、拳を握りふるふると震えている。
「はっはっは。まぁ、気が向いたらいつでもここに来ると良い、歓迎するよ。」
そう言うと樵は、エレンのカゴに食べ物を入れて差し出した。
「すみません、こんな物まで・・・。」
ロエミールが礼を述べながら受け取る。きっと美味しい昼食になるだろう。
「礼には及ばんよ。久しぶりに楽しませてもらった、そのお返しだ。」
「ありがとー。それじゃおっちゃん、またねー、バイバ〜イ!」
言いながらルゥケットが手を振ると、樵も手を振り返す。
一行は、名残惜しいと感じつつも、花を求めて先を急いだ。
ドドドドド・・・と滝の落ちる音が辺りを支配する。
滝の直ぐ下まで着いた一行は、その大きさに驚いた。
「滝って、こんなに大きかったんですね・・・。」
「なーに!何か言った!?」
ロエミールが何か言った様なので、フェリアンが聞き直した。
「え!何ですって!?」
普通なら何と云う事は無いのだが、ここでは会話するにも一苦労だ。
二人は、言葉での会話は無理と考え、身振り手振りで意思を伝える事にした。
(どうやって登んのよ?)
(脇の方に登り易い所があるって言ってましたけど・・・)
(人間って不便だねぇ。オイラ達みたいに飛べれば楽なのに。)
とまぁ、ここまで細かく伝わったかは別として、
取り敢えず四人は、その「登り易い所」を探し始めた。
(ここか・・・?)
それらしき場所を見つけたので、カーシァは他の三人を呼びに行く。
呼ばれて来て、フェリアンがジェスチャーで示す。
(ロープが垂らしてあるって話だから、ここだろうけど・・・)
(登り易い、ですか・・・確かに”他よりは”そうですね・・・。)
ロエミールが顔を引き攣らせながら付け加える。
「こんなトコ、どーやって登れっての!?」
聞こえる筈はないのだが、皆はその言葉を理解した。当然である。
切り立った崖に、一本のロープが垂れている。所々に足場はあるのだが・・・。
「雀の涙」そんな言葉が良く似合う。いや、「断崖絶壁」と形容せずにはいられない。
眼前に広がるその光景は、彼等にこれからの「試練」を容易に想像させた・・・。
「ほら、後もうちょっとだよ、ロエミール!」
後少しという所で上にも下にも動けなくなり、ロープにしがみつく青年に、
背中の羽で飛んでいる少年が激励の言葉を掛ける。
この辺りになると滝の音で声が掻き消される事はないので、ロエミールもそれに答える。
「え、えぇ、それは分かってるんですけど・・・か、体が・・・。」
そこまで言って、宙ぶらりんのまま硬直してしまう。
「下見ちゃダメだよ!絶対ダメだからね!」
と念を押すが、やっぱり見てしまう。人間とは困ったものである。
「う・・・駄目です、もう動けません・・・。」
今までの人生で最高の握力を発揮する。が、彼にはそんな事を考えている余裕は無い。
「あちゃぁ・・・どーすんだよぉ・・・?」
ルゥケットがそう呟くと同時に、ロエミールの身体が徐々に上に移動し始めた。
先に登っていたカーシァが、上でロープを手繰り寄せているのだ。
それを見た少年は、一緒になってロープを引っ張り出す。
「うんしょ、うんしょ・・・っと。ロエミール、手ぇ出して、手!」
「え、あ、はい!」
少し驚きながら、言われるままに青年は手を伸ばす。
と、カーシァがその手を掴み、一気に引き上げる。
「あ、ありがとうございます・・・」
やっと解放されて、ロエミールも気が楽になったか、大の字になって寝転んだ。
しかし、流石に彼女も少々無理をしたらしく、肩を上下させている。
「ナイス、カーシァ!やっぱりカーシァはスゴイね!
 ・・・っと、まだ下にフェリアンが居るんだったや。」
そう言いながら、ルゥケットは崖の下を覗き込んだ。
「あ〜ぁ、何か怒っちゃってるヨ・・・ちょっと行って来るネ。」
少し嫌な予感を感じつつ、ルゥケットが降りて行く。すると突然胸ぐらを掴まれ、
「一体いつまで待たせるのよ!大体ねぇ・・・」
とフェリアンに一気に惓し立てられる・・・殆ど聞こえないのだが。
(お、落ち着いてよ、フェリアン!)
と言わんばかりの身振りに(単にもがいただけかも知れないが)フェリアンは手を放す。
(アタシはこれから登んのよ?こっちの身にもなりなさいよね!)
明らかにそう言っている・・・いや、正確には「言って」はいない。
(分かったよ〜、オイラが手伝えばいーんだろぉ?)
渋々フェリアンのフォローに入るルゥケット。無論、不満たらたらである。
(ちゃんと支えてなさいよ!手抜いたらアンタぶっ飛ばすわよ!)
もう一度言うが、こんなにしっかりとは伝わらない。どうでも良い事だが。
(それじゃ、行くわよ!)
フェリアンはやっと登り始めた。当然の如く、引っ張るルゥケットの負担は大きい。
「う〜・・・重い・・・。」
聞こえないと思って口に出す。が、その考えが甘かった事に、少年は気付かなかった。
暫く後、中腹まで到達した二人は、少し休めそうな所で休んでいた。
はっきり言うと、休んでいるのはルゥケットだけなのだが。
「ちょっとー、早くしなさいよー!」
一人休んでいる少年に向かって、彼女は急かす様に告げる。
「ちょっと待ってよぉ・・・結構大変なんだからさぁ・・・」
「うっさいわねぇ、アタシはそんなに重い訳!?」
「エッ!?」
その言葉に、ぎょっとするルゥケット。それを見て、フェリアンが続ける(ねちっこく)
「ど〜したのぉ、そんなに慌ててぇ?」
「な、何でもないヨ、何でも・・・」
更に挙動不審に陥る少年。そこで急に厳しい口調になり、彼女の本領が発揮される。
「聞こえて無いとでも思ったの?あんたアタシをナメてる!?」
「えっ、そ、そんな・・・」
「早くしなさい・・・!」
「ハ、ハイ・・・。」
静かな中に、確かな迫力を感じ取ったルゥケットは、素直に従う事にした。
そして、そこから少し進んだ所で、
「何でアタシがこんな事・・・」とフェリアンがこぼした瞬間、
(ピシッ・・・ガコッ!)
「え?っきゃ〜〜〜っ!」
フェリアンが足を掛けた岩が、無情にも崩れ去った。それと同時に落下する彼女。
「フェリアンっ!」
あまりに突然だったので、ルゥケットの手は彼女から離れてしまった。
その叫びを聞いて、ロエミールとカーシァが下を覗いた時にはもう遅い。
フェリアンの身体が、今まさに地面に激突する・・・そう思った瞬間、
「・・・レビテートッ!」
彼女の命が絶たれる寸前で、魔力の翼がその身体を受け止める。
「ふ〜っ・・・間に合ったぁ・・・。」
浮遊の魔法が効果を発揮したので、ルゥケットは安心し、ゆっくりと下に降りて行く。
崖の上から見ていた二人も、安堵の息を吐く。ロエミールなどは、
「は、はは、良かった・・・。」
と、もう半笑いである。カーシァにしても、今のはかなり焦った様だ。
で、当の本人、フェリアンはと云うと、
「・・・生きてる・・・?」とビックリしている。何があったかすら解らない様子だ。
(大丈夫、フェリアン?)と降りて来たルゥケットが顔の前で手を振る。
するとそれに気付いて正気に戻ったフェリアンは、
「あ・・・ありがと・・・。」
と礼を言う。何が起こったのかを理解した様だ(聞こえないのには気付いていない)
(え?何?)というジェスチャーをルゥケットがすると、照れ臭そうに、
(な、何でも無いわよ・・・。)と返事を返した。
・・・と、そこで何かに気付き、フェリアンはルゥケットの耳元まで近付いて、
「何で最初っから今の魔法使わないのよ!?」
「何でって、あの魔法じゃあんまり高く飛べないんだよ!」
「高く飛べなくたって、そのままより遥かにマシでしょうが!?ほら!」
と言いながら、スイスイとロープを登り始める。
そして頂上まで登り切ってから、冷めた口調で付け加える。
「そうすれば、アタシやロエミールが苦労しなくて済んだんだからね・・・。」
「き、気付かなかったや・・・。」
直ぐ後を追い掛けて来たルゥケットが頭を掻きながら言う。
「もー最低!そのおかげで、アタシなんか死にかけたのよ!?」
こうなったらもう誰もフェリアンを止められない。怒りが収まるまで待つしかない。
「せっかく助けてあげたのに・・・」
「何か言った!?」
聞こえない様にボソッと言ったのだが、フェリアンに聞き返される。
「何にも言ってないよ・・・。」もう、そう答えるより外は無い。
ロエミールが横から「でも助けてくれたのはルゥケットですよ?」と言おうとしたが、
「最初から使っていれば落ちる事も無かった」と言われるのが目に見えているので、
彼は思い留まった(巻き込まれたく無い、と言うのが最大の理由だったが)
「ちょっと、ちゃんと聞いてんの!?」
下から聞こえる滝の音と重なる様に、甲高い少女の声が辺りに谺した。
その頃・・・。
「あ、そういえばロープを垂らしてある所は二か所あるんだった・・・。」
樵が思い出してハッとする。崖登りの練習用に使った場所だ。
「・・・まぁ間違えはしないだろう。さて、仕事仕事!」
これを聞いたら、フェリアンは何と言うだろう。しかし、彼女の耳に届く事は無い。
そして樵は何事も無かった様に、いつもの仕事に取り掛かった。
「ところで、荒らされたって所はどこだろ?」
やっとフェリアンから解放されたルゥケットが、キョロキョロしながら言う。
「そうですね・・・水辺に咲くらしいですから、あの辺りではないですか?」
と川辺を指差しながらロエミールが答える。
「そんなの良いから、こんな所とっとと”おサラバ”しましょ!」
先程の事に相当腹が立ったらしく、フェリアンはまだ愚痴っている。
「でも、実物を見ておいた方が良くないですか?」
「そーだよ。向こうに着いてから、直ぐに見付けれる様にサ。」
「それはそうだけど・・・見れば判るんじゃないの?」
「色とか大きさとか、知ってた方が良いと思うんだけどなァ。」
三人がそんな事を話している間に、カーシァは<親指花>の在りそうな所へ向かう。
すると足元にそれらしい花を見つけたので、皆を呼びに戻った。
「在ったんですか?」
「え、どこどこ?」
「見つけたんなら仕様が無いわね、見に行くわよ。」
そう言いながら、三人はカーシァに連れられて、そこへ行く。
「こんななんだ・・・。」
「ホントに一枚だけ花びらが大きいのね・・・。」
その花を見て、ルゥケットとフェリアンが呟く。
淡いピンク・・・肌色に近い色の、赤子の手、と云った感じの小さな花だ。
「でも、これを採る訳にはいきませんね。」
「何で?」
ロエミールがそう言うと、ルゥケットが聞き返す。
「摘んでから余り保ちませんし、この辺りを元の様にするのに必要でしょうしね。」
よく見ると、周囲には<親指花>が疎らにだが幾らか咲いている。
「そっか、そ〜だよね。」
「ですから、この花はここにそっとしておきましょう。・・・では参りましょうか。」
そう言って、青年は一行を促した。そして直ぐに、彼等はその場を後にした。
川沿いに進むこと数時間。そろそろ問題の湖が彼等の視界に入って来た頃だ。
「後少しですね。例の魔物が居ない事を祈りましょうか・・・。」
胸の前で手を組んで、ロエミールが歩きながら祈り始めた。
「そんな事で危険が避けれたら、誰も苦労しないわよ。」
とか言いつつも、内心(居ません様に・・・)と思ってしまう。
「そーだ、そろそろお昼にしよ、オイラお腹減っちゃったヨ。」
崖登りで何故か一番疲れたルゥケットが、そう切り出した。
「そうですね。このカゴも空けなくてはいけませんしね。」
「じゃぁ、ここで食べましょ。川の水も飲めそうだし。」
「あぁ、大丈夫だ・・・。」
「カーシァが言うんだから平気そうだネ。」
などと言いながら、一行は昼食の準備をし始める。
「わぁ、おいしそ〜♪いっただっきま〜す!」
「あっこら、ルゥケット、手を洗わないと・・・。」
ロエミールの制止も聞かず、腹ペコの少年は一人で食べ始めてしまった。
「ちょっと、アンタのだけじゃないんだからね!」
そう言って割り込んで来て、少年とオカズの奪い合いを始める。
「あぁ、フェリアンまで・・・食事の前のお祈りもまだなのに・・・」
「ほんな事ひてたら、全部無くなっひゃうわよ!」
口に物を入れながら、フェリアンが神官である彼に怒鳴りつける。
「まったく・・・では僕達だけでもお祈りしましょうか・・・。」
と言いながらカーシァの方を向くと、彼女はしっかり(ちゃっかり?)と、
自分の食事を確保していて、今まさに食べ始める所だった。
すると、ロエミールの視線に気付いたカーシァは、手を止めて彼に言う。
「・・・無くなるぞ・・・。」
その目付きは「食える時に食え」そう言っている様だった。
カーシァの性格は知っている。彼女の思考基準が「生き残る為に」である事も。
「はい・・・。」
諦めた青年は、ほんの少しだけお祈りをすると、少なくなった食事に手を伸ばした。
「あ〜おいしかった〜。あのおっちゃん、意外と料理上手いんだネ。」
お腹一杯になったルゥケットが、満足そうに言った。
「意外と、なんて失礼ですよ。折角作って頂いたんですから。」
お祈りをしなかったからなのか、自分の食事が少なかったからなのか、
ロエミールが少し不満そうにそれに答えた。
「さて・・・と。このままちょっと休んだら、目的地に向かいましょ。」
「そーだね。でも、気を引き締めて行かないとネ。」
その言葉に、カーシァが頷く。彼女の場合、常に引き締まりっ放しなのだが。
「だけど・・・大丈夫なのでしょうか・・・」
「なにが?」
心配顔のロエミールに、ルゥケットが明るく問い掛ける。
「花の事ですよ。魔物が棲み着いているのでしょう?
 その魔物が、滝の花を荒らしたのだとしたら・・・」
「でもそれだったら、何であのおじさんは”最近棲み着いた”って言わないのよ?
 もしその魔物が以前から湖に棲んでいたのなら、また戻るって事は無いでしょう?」
「なんで?」
力説するフェリアンに、少年がまたも質問をする。すると彼女は立ち上って説明し出す。
「だから、花を荒らしたのが昔から湖に棲んでた魔物だったとしたら、
 湖の花が無くなったから、滝の方に来たんじゃないかって言ってるのよ。」
「ふ〜ん・・・」
「それに”棲み着いてる”って言ったって事は、今も居るって事でしょ?」
「うん。」
「それが、滝の花を荒らした魔物だとしたら、
 もう食料である花が無い、元居た湖には帰らないだろうから・・・」
「そうか!だからまだ花はあるんじゃないか、って言うんだネ!」
「そう言う事。」
フェリアンに親切に説明されて、やっとルゥケットは理解した様だ。
「でももし、滝の花を荒らした魔物が、湖も荒らしていたとしたら・・・?」
「だから!それを今から確かめに行くんでしょう!?」
根本的な事を言われて、語気を荒げてフェリアンが言った。
「そ、そうですね・・・そうでした・・・。」
怒鳴られて、ロエミールは縮こまってしまう。
「ほら!モタモタしてんじゃないの!さっさと行くわよ!」
ドスドスと足音を立てながら、フェリアンは先に行こうとする。
「ま、待ってよ〜ぉ!二人共、早く行こ!」
ルゥケットに急かされて、ロエミールは慌てて立ち上がる。
一人先行する少女を、三人は急いで追いかけ始めた。
一面の岩肌に、小さな湖がまるで砂漠のオアシスの様に静かに広がっていた。
水も綺麗で、周りには草花が生い茂っている所もある。そこに四人は佇んでいた。
「わぁ〜綺麗・・・こんなに良い景色だとは思わなかったわ・・・。」
「で、でも、魔物が居るんですよ?」
その光景に見惚れるフェリアンに、いよいよ不安になったロエミールがそう言った。
「そんな所で喋ってないで、早く花を探そうよーっ。」
こちらもやはり少し不安なルゥケットが、二人に向かって言葉を掛ける。
「・・・アンタ達、素晴らし〜ものを見た時”感動”って、しません!?」
「死なん程度にはな・・・。」
後ろを通り過ぎたカーシァが、ボソッとそれに答る。
思いがけない所から返って来た答えにフェリアンは、
「・・・ハイハイ、聞いたアタシがバカでした・・・。」
と呟いてから、仕方無い、と言う風な顔で、目的の物を探し始めた。
「ねぇ、あの小島に咲いてるって事は無いよネ?」
「それは無いでしょう。湖の辺に咲いている、とおっしゃってましたから。」
「そーだね、んじゃ、早いトコ見つけちゃお!」
ルゥケットは疑問を口にしたが、すぐに納得し、また花を探し始めた。
するとカーシァが、何かに気付いた様で、辺りを見回している。
「どしたの、カーシァ?」
「匂う・・・。」
「え、何が?・・・何にも匂わないヨ?」
少年は鼻をクンクンさせるが、これと言って何も匂わない。
「あの花だ・・・あっちか?」
そう言って確かな足取りで歩き出す。それを追いかけるルゥケット。
「ねぇ、ホントに分かるの?」
「間違いない・・・こっちだ。」
話しながら少し迫り上がった岩場を越えると、眼下にピンク色の花園が広がっていた。
「あ、ホントだ!カーシァすっごーい!・・・オイラ、フェリアン達呼んで来るネ!」
そう言って、少年は急いで二人を呼びに走った・・・いや、飛んで行った。
「見つけたって!?・・・わぁ、こんなにいっぱい!」
「そ、それでは早く摘んでしまいましょう。」
「せっかちだなぁロエミールは・・・」
「そういう問題じゃありませんよ。」
一秒でも早くここを立ち去りたいのか、ロエミールは早々と花を摘み始めている。
それにつられてか、三人も次々と<親指花>をカゴに入れていく。
「あれっ?」
「どうしたのよ、ルゥケット。」
「今、あの小島、動かなかった?」
「は?何言ってんのよ、そんな訳ないじゃない。ほら、手休めないの!」
「・・・そうだよね。そんな訳ないよね。」
少女に半ば強引に説得され、ちょっと腑に落ちない少年は作業に戻る・・・が、
「やっぱり動いてるよ!ねぇ、フェリアン見てみなよ!」
「そんな馬鹿な話・・・動いてなんかないじゃない、アンタ目悪いんじゃないの?」
後ろを振り向いて、フェリアンが確認する。当然動いている筈もない。
どうせまたいつものイタズラだと思い、前を向いた瞬間・・・、
「フェ、フェリアンっ!後ろっ!」
「えっ?」と彼女が言ったのとほぼ同時に、その身体が空中に持ち上げられる。
「な、何です、あれは!?」
フェリアンを持ち上げた「モノ」を見て、ロエミールはそう叫んだ。
何か長い物が彼女の胴体に巻き付き、そのまま高く持ち上げている。
その「長い何か」には吸盤があり、その先・・・湖の中には、巨大な「イカ」がいる。
それに気付き、彼が信じられないと言う様な口振りで呟く。
「まさか、クラーケン!?・・・でも何故こんな所に!?」
巨大なイカの魔物・・・クラーケンは、その長い足でフェリアンの身体を締め付ける。
「きゃぁぁぁっ!」
「このっ!フェリアンを放せっ!」
そう言いながら、ルゥケットは手にしたロッドでクラーケンの足を叩く。
が、その非力な攻撃では、傷一つ・・・痛みさえも与えられない。
「下がれ・・・!」
そこへ、剣を抜いたカーシァが渾身の一撃を加えんが為に、猛然と走り寄って来る。
「ハァッ!」
気合一発、見事に命中。その一閃は、クラーケンの長い足を短くするには十分だった。
「プルグゥアァァァ!」
魔物の悲鳴と同時に、フェリアンが落下する。それを身を呈して受け止めるロエミール。
「だ、大丈夫ですか、フェリアン・・・。」
「ごほっごほっ・・・な、何とかね・・・。」
かなりの力で締め付けられたのか、彼女は咳き込みながら弱々しく答えた。
その額にびっしりと汗をかいているのが、ハッキリと窺える。
だが、彼女は起き上がり、魔法を使おうとしている。
「いけません、フェリアン。無理をしちゃぁ・・・」
しかし、彼の言葉を無視し、フェリアンは魔法を唱えた。
「・・・ストライキング!・・・あぁ、もう駄目・・・。」
と言ってその場に座り込んでしまう。そこにすかさずロエミールが叱る様に語り掛ける。
「そのままにしていて下さい。全く、無茶をして・・・」
「アハハ・・・でも、カーシァに頑張って貰わないとさ・・・」
「だからって・・・もういいです。さぁ、楽にして・・・。」
その後ろで、フェリアンの魔法に因って漲る力で剣を振り、
カーシァが何とかクラーケンの攻撃を凌いでいた。
しかし、いくら歴戦の彼女を以てしても、
10本の足での攻撃を全て避けるのは、最早限界であった。
「ね、ねぇ!これだけあれば足りるんでしょ!?だったら・・・」
いつの間にか後ろに下がっていたルゥケットが、カゴを拾ってロエミールに訴え掛けた。
「少し待って・・・リフレッシュ・・・。」
その癒しの魔法で、フェリアンの顔色は大分良くなった様だ。
「そうね・・・それだけあれば・・・。」
立ち上がりながら、少女が少年に答える。
「フェリアン、大丈夫なの?・・・逃げた方が良いよね?」
するとルゥケットは彼女に声を掛けてから、ロエミールに同意を求める。
「そうですね・・・走れますか、フェリアン?」
「走らなきゃいけないんでしょう・・・?」
青年に肩を借り、少女は走り出す。その後ろから、魔法を唱えながら少年が続く。
「・・・ヘイスト!カーシァ、走って!」
その声を聞き、彼女はクラーケンの一撃を、楯で受け止める。
そしてその反動で跳びじさり、間合いを広げてから走り始める。
ルゥケットの魔法のおかげで、走る速さが普段よりも格段に速い。
どうも、クラーケンは湖からは出て来ないらしく、それで難無く逃げ延びる事が出来た。
少しして三人に追いついたカーシァは、何事も無かったかの様に、剣を鞘に収めた。
「もう大丈夫だな・・・。」
「一時はどうなる事かと・・・。」
「アタシはまた落とされたわよ!」
「皆無事で良かったネ。」
追って来る様子が無いのを確認した一行は、カゴ一杯の花を見ながら、深く息を吐いた。
                                  [前編]終

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