03-10
「デイルテル…」
咳き込みそうになるのを抑えながら、ハリィは男の名を呼んだ。
霞んだ視界からも、楽しそうにニヤニヤ笑っている顔がよく見える。胸糞悪いとはまさにこの事だと痛感した。
着崩した和服に真っ直ぐな長い黒髪と、腰には酒が入っているのであろう瓢箪(ひょうたん)。そしてその左手に視線を移した瞬間、ハリィの目が見開かれた。
「ったく、この程度でへばってたんじゃあ」
デイルテルの左手に、さっきまでハリィを狙っていた光の玉が浮いている。そのまま拳を素早く握ると、それは燃料の無くなったランプのようにしぼんで消えた。
「俺の弟子を名乗らせている俺が恥ずかしい」
腰に手を当てると、フンと鼻で笑う。
「ほれ、見てみろ。お隣さんなんか無傷だぜぇ?」
デイルテルの顎の先には、腕を組んで何事も無かったように立っているエルムとサーレム。周りは半壊しているのに、当の本人達は何の被害も被っていない。
ハリィは何も言い返せず、ただ黙って俯く。
胃の内側から沸いてくるような微かな震えは、悔しさから来るものか、否か。
「…どこから沸いてきた、人間」
エルムは訝しそうにデイルテルを観察する。
「うん?ああ…移動魔法でちょちょいと、な」
「だったらハナっからここに飛ばしゃあいいだろう!」
指をちょんちょんと振ってみせる師匠に、ハリィは最後の力を振り絞ってツッコミを入れた。
同時に立ち上がろうとしたが、うまく力が入らずカクンと尻餅をつく。まるで自分の足ではないかのように強張った足とデイルテルを交互に見つめ、ハリィは顔いっぱいに抗議の念を示した。
「あれがなかなか難しくてな。大人数じゃうまく目標を合わせられねえんだよ」
デイルテルは申し訳なさそうな顔をしながら頭を掻くが、そのしぐさ一つ一つが無性にうそくさい。
「まあよい…。人間、その移動魔法とやらでそやつらを連れてさっさとこの地を去れ。我等の探し物が見つかった今、人間などには用はない」
「あ〜、無理無理!あの魔法俺ン家の魔法陣ないと使えないから。」
あまりにもあっけらかんと答えるデイルテルに、ハリィは絶句した。そして、多少なりとも移動魔法に期待してしまった自分に密かに腹が立った。
「じゃあ何で来たんだよ」
ハリィの質問に、にっこり、というよりにやりとした表情を浮かべながらデイルテルは答えた。
「お前が地面に這いつくばってる姿を見に来たに決まってんだろ」
予想内の答えが返ってくる。同じような目には過去に何度も遭ってきたが、今日ほど師匠を憎いと思ったことはない。
「我ノ邪魔を、する者ハ、何人たりトモ排除、しナけれバならナイ…」
虚ろな声で、レイティエルが呟く。だがそれとは対照的に、両手には勢いよく放電を繰り返す塊が生み出されていた。
ハリィは大きく息を吸うと、体の痛みを堪えながらなんとか立ち上がる。
「手ぇ出すなよ。あいつは俺様の獲物だ…」
実際はレイティエルのほうへ振り向くのも精一杯なほどだったが、そこまでして虚勢を張るのは自身のプライド故なのか。デイルテルを見上げる瞳には諦めの色は伺えない。
頭をぽりぽりと掻きながら、デイルテルが笑う。いつもの小馬鹿にした笑いではなく、目を細め、やさしく微笑む。
そのまま、すれ違いざまにハリィの頭にポンと手を乗せる。
「まあ、立ち上がっただけ特別に誉めてやらあ。…だから少し休んどけ」
ハリィの動きが止まると同時に、デイルテルの目に鋭い光が宿る。視線が捕らえているのは、魔法を構えたレイティエルの姿。
「邪魔をするなと言っておるだろう、人間!」
エルムの声を皮切りに、レイティエルの手から連続していかずちが放たれる。
デイルテルは腰に固定してある紐ごと瓢箪を持ち上げると、まるでなにかの武器のようにそれを振り回し、次々といかずちを弾いていく。
すべてのいかずちを捌き終えると、デイルテルは得意げにぐいっと瓢箪の中の酒で喉を潤す。
「かーっ!情けないねえ、こんなもんにやられちまうとは…。だが」
口の端からこぼれた水滴をぬぐい、レイティエルを睨み付ける。
「俺の弟子をここまで追い込んだ落とし前、つけてもらうぜ」
魔法の構えに入るデイルテル。師匠の思わぬ台詞に赤面したハリィは、この状況で誰も自分の事を見ていないことにちっちゃく安堵した。
「ザン・バードゥル・ザン・ガードゥル、雷光の審判たちよ!我に仇なす愚者に裁きの鉄槌を…!」
デイルテルの前に魔方陣が現れ、雷を纏った雲のような鈍い音を震わせながら発光していく。
「……!?」
応戦するかと思われたレイティエルだったが、急に動きを止め、ゆっくりと上を見上げなにやらぶつぶつと呟きはじめた。
「余所見してると怪我するぜっ!!…ラージット・ヴォルト!!!」
魔方陣から雷気を帯びたエネルギー派が打ち出される。だがレイティエルはこちらを一度も見ぬまま、何かに呼ばれるかのように天を仰ぎながら消えた。
後に残ったのは目標にかすりもせず崖を砕く魔法の轟音と、その音の中でも耳の中へ入ってくる虚ろな声。
『見つけた…ソラを、ミル、者…』
「イヴリール!!」
同時に、エルムの怒りに満ちた叫び声と、サーレムの落胆したような悲鳴が交差する。
その声を聞きながら、ハリィの意識は深い闇へ堕ちて行った。
†
地に降り立った女神は喜び大地を駆ける
高くそびえ立つ塔を見上げながら男は満足げに笑う
木々の間に、女神は男を見た
風の向こうに、男は女神を見た
惹かれあう二人に、暗黒の笑い声は聞こえない
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