午後の授業は、手塚にしては珍しく、あまり身が入らなかった。 (そういえば) 機械的に黒板の文字を写し取りながら、全く別の事を考える。 (今日は、一度も越前を見かけないな) 部活を引退すると、テニス部員と接する機会は激減する。不二や大石をはじめとする三年生とはそれなりに交流もあるが、今までどおりというわけにもいかない。ましてや、下級生となるとなおさらだ。引退した三年が、いつまでも部活に顔を出すのもよくないだろうと、テニスコートにもほとんど足を運んでいない。せいぜい新人戦を見に行ったくらいである。 それでも、不思議とリョーマとは校内でよく遭遇した。教室が離れているにも関わらず、リョーマはよく三年生のいる階に姿を現わした。あるいは図書室で会う事もあったし、とにかく姿を見かける事が多い。 挨拶を交すだけのこともあるし、短い会話をすることもある。これといって特別な話題があるわけでもなく、ほとんどが部活やテニスの話だったが、いつの間にかそれが手塚の当たり前の日常になっていた。 なのに、今日はまだその姿を見ていない。これまでも毎日会っていたわけではないのだが、手塚は落ち着かない気持ちになった。 その理由を考えていくうちに、なんとなく不二のせいのような気がしてきた。責任転嫁以外の何者でもないが、でも、不二があんな事を言ったせいではないだろうか。 (と、いうことは、つまり俺は…) 「手塚!」 「え」 「え、じゃない。質問に答えろ」 顔をあげると、教師が手塚を見ていた。慌てて教科書に目を落とすが、もう遅い。質問の内容どころか、今どのページを読んでいるのかさえわからなかった。諦めて、手塚は椅子から立ち上がる。 「すいません、質問を聞いていませんでした」 その言葉に、教室全体がどよめいた。教師でさえ、怒るよりもまず驚いた様子で、目を丸くしている。手塚の口からそんな台詞が出るとは、まさに晴天の霹靂とでも言いたげだ。実際、今までにそんなことは一度もない。 「あ、あー…、なんだその、ちゃんと聞いとけよ」 なぜか、かえってばつが悪そうに教師はそう言い、手塚を座らせて別の生徒をあてた。当てられた生徒にはいいとばっちりだが、手塚はその後もほとんど授業を聞いていなかった。
授業が全て終わっても、手塚は自分の教室でぼんやりしていた。手塚がぼんやりしている時は、大概心底ぼんやりしているのだが、傍目には難しいことでも考えているように映るらしい。実際問題として得なのか損なのかは微妙なところだが、それが手塚の近寄り難さの一端を担っているようだった。 それでも勇気を振り絞って、声をかけてくる女生徒が何人か教室に現われた。こういうイベントの日の方が、勢いに乗りやすいのだろう。一通りやり過ごすと、教室には手塚一人が残った。 立ち上がって、窓から外を眺めてみる。手塚の教室からは、ぎりぎりテニスコートを望む事が出来た。目の悪い手塚は、この距離からでは人間の顔の造作など、ほとんどわからない。だが、テニス部員は不思議と判別できた。それぞれの部員のちょっとした仕種や動き、テニスのフォーム、それらは手塚が三年間ずっと大切にしてきたものだ。 その中に白い帽子を認め、手塚の目は、その動きを追った。 「てーづーか!」 ガラリと勢いよく扉が開き、驚いて手塚が振り返ると、教室の入り口で菊丸が手を振っていた。どうやら、テニス部の三年が全員揃っているらしい。 「良かった、まだ帰ってなかったな」 「みんな…どうしたんだ」 「どうした…って、相変わらずだにゃー、手塚は。今日、誕生日じゃん?みんなで何か食ってこーよ」 菊丸の斜後ろに立っている不二が、にっこりと笑って頷いている。 「手塚の分は奢るからさ!」 「へえ、英二が?」 珍しい台詞に不二が感心すると、菊丸は首を振り、さも当然のようにパートナーを指差した。 「うんにゃ、大石が」 「ええっ!?お、俺!?」 「まあ、それは冗談として…みんなで御馳走するよ。って言っても、ファーストフードだけどね」 「あ、もしかして予定ある?」 「いや、大丈夫だ…ありがとう」 「よし、そうと決まったら早く行こう」 手塚は頷くと、開け放っていた窓を閉めた。 もう一度テニスコートを見やったが、白い帽子は、すでに視界から姿を消していた。
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