結局、大石は菊丸に会えないまま、下校時間を迎えた。 これが最後のチャンスと、急いで6組へ向かう。まったく、今日は何度このルートを通った事か。 6組の教室にはまだ多くの生徒が残っていたが、やはり菊丸の姿はなかった。呆然と入り口に立っていると、その姿を目にした不二が近付いてきた。 「大石、どうしたの?英二に用?」 「ああ…。英二、もう帰った?」 「ううん、いるよ。テニスコートにね」 「え?」 驚く大石に笑顔を向け、不二は言った。 「練習を見に行くってさ。桃に頼まれたとは言ってたけど、最近体がなまってるってぼやいてたし、たまには思いっきり体動かしたいんじゃないの」 「…そうか…」 「用事あるなら、ついでに大石も一緒に後輩の指導してくれば?」 「ああ…いや…」 不二はふふ、と笑って、じゃあ僕は帰るね、と言った。 「あ、不二」 「ん、何?」 「あのさ…英二、何か言ってた?」 「何かって…うーん、別に気になるような事は言ってなかったと思うけど?いつもの英二だったよ」 「そうか…ごめん、ひきとめて」 「かまわないよ。それじゃね、大石」 不二が立ち去った後、大石はどうしようか迷った。今テニスコートへ行けば確実に会う事はできるが、部活の皆の前で顔をあわせるのはやはり気まずい。それなら終わるのを待って帰宅路でつかまえた方がいいだろうと判断して、自習室へと向かった。 しかし、自習室でひとり教科書を開いても内容などちっとも入ってこない。それどころか思考は悪い方へ悪い方へといくばかりで、気分がどんどん沈んでくる。それでも大石はテニス部の練習が終わる時間まで自習室にいたが、自習など何もできなかった。 部屋を出て、廊下の窓から目をやると、テニス部の練習はそろそろ終わりそうな気配だった。だがこんな状態でこのまま待っていても、ロクな事は言えないんじゃないか、と大石は思った。それに、一日中緊張していたせいで、精神的にも疲れている。 (やっぱり今日は帰って、また後で電話してみよう)
大石は校舎を出た。最近は陽が落ちるのが早い。外はすでに暗くなりかけていた。男子テニス部は運動部の中でも練習が終わるのが遅い方なので、玄関にも玄関の外にも生徒の姿は無い。 今日何度目か数える気にもならないため息をつきながら、大石は校門へ向かって歩いた。
(あれ…あそこに誰かいる) 暗がりではっきりとはわからないが、校門の影に人がいるようだった。近付いてみると、それは予想外の、だが自分がとても良く知っている人物だった。 「……手塚?」 ぼんやりと壁に寄り掛かっていたらしい手塚は、大石に呼び掛けられて、面白い程びくりと体を震わせた。 「お、大石…。まだ、残ってたのか」 「ああ…お前こそ、何してるんだ?こんな時間に」 珍しく慌てたような手塚の様子を不思議に思いながら大石が聞くと、手塚は目線を少し泳がせて、口籠るように言った。 「いや、何ってその……」 「…?」 そこで大石は、手塚が左肩にテニスバッグをかけているのに気がついた。 「珍しいな、テニスバッグなんか持って。これからどこかで練習するのか?」 「練習…と、言うか…」 「どうしたんだ…?」 いつになくはっきりしない手塚の様子に不審を抱いたその時、背後から軽快な足音が聞こえてきた。 「部長、お待たせ…って、あれ大石先輩?」 「え?」 大石が振り返ると、そこにはやはり見知った人物…越前リョーマが息を切らせて立っていた。 「…越前?手塚、もしかして越前を待ってたのか?」 手塚はばつの悪そうな表情をして黙っている。かわりに口を開いたのはリョーマだった。 「大石先輩、部長に用事っすか?だったら悪いけど、今日は先約があるから今度にして下さいよ」 「いや、別に用は無いけど…先約って、越前とかい」 「そうッス」 当然と言った様子で頷くリョーマは、あまりに自然でうっかりすると気がつかないが、3年生が引退して世代交代した今でも手塚の事を「部長」と呼んでいた。彼なりの愛情表現なのか、それとも照れ隠しなのか。そして、手塚の方も特に追求する事なくあたりまえのように受け取っている。何に対してかはっきりとはわからないが、大石はなぜかとても羨ましいと思った。 「部長、早く行かないと区営コートの時間終わっちゃうよ?せっかく予約入れたのに」 「…わかってる」 「ああ…それでテニスバッグ持ってたのか」 テニスバッグについては一応納得したが、そんなことよりももっと大きな疑問があった。 「なあ…手塚、こうやって、しょっちゅう放課後に一緒に練習してるのか?」 「べ…別に、しょっちゅう…というわけじゃ…」 「そうッスよ。テニスで釣らないと、この人なかなか会ってくれませんから」 さっきからもごもごと煮え切らない手塚に対して、リョーマは堂々としたものである。ここまでくるといっそ潔い、と大石は感心さえしたが、手塚はそうは思わなかったらしく、滅多に見られない狼狽ぶりを示した。 「え、越前!何を言ってるんだお前は!」 「だってそうでしょ。大体学年違うと教室の場所もすごく遠いし、引退したらもう全然会う機会無くなっちゃったし。だからこうやって自力で時間作らなくちゃ」 「いや、俺が言いたいのはそういう事じゃなくてだな…!」 「相変わらず往生際悪いなあ。大体、恥ずかしくて嫌なら最初から断ればいいでしょ。ここまで待っててくれて、もう今さら照れなくってもいいんじゃないの」 「て、照れて無いっ!ていうか恥ずかしいって何だ!」 「はいはい、いいからもう行きましょ。アンタが他の部員に見られたくないって言うから、他のやつら置いてダッシュで来たんすよ」 「余計な事を言うな!」 「ははは…」 本人達は、いや少なくとも手塚は真剣なのだろうが、端から見ているともう笑うしかないといったところだ。それにしても、いつのまにこの二人はこんなに仲良くなったのだろう。やはり、リョーマの押しの勝利か。 リョーマはテニスにおいてもそうだが、不遜に見える態度の裏に、実は人並みならなぬ努力を隠している。きっと、手塚に関してもそうなのだろう。リョーマは、どんな高い壁にぶつかっても決して怯む事がない。怯む事なく、自分の力で乗り越えて行く。
―ああ。
大石は、心の中でもやもやしていたものが急に晴れたような、そんな気がした。
「じゃあ、大石先輩、俺達もう行きますから」 「ああ」 まだぶつぶつと文句を言っている手塚の背中をリョーマが半ば押すようにして、二人は歩き出した。 「あ、手塚、越前」 大石はその背中に向かって声をかけ、二人を引き止めた。「何スか?」 「……ありがとう」 「はあ?」 「何か礼を言われるような事をしたか…?」 「ハハ、いいんだ、こっちの事。とにかくありがとう。楽しんでこいよ」 「…??ああ…じゃあな」 二人は訝し気な表情のまま、その場を立ち去った。大石はアンバランスな二人の後ろ姿を見送り、そしてぎゅっと手を握りしめた。
―やっぱり、今日会って言わなくては駄目だ。
自分の何が悪かったのか。本当に言わなくてはいけない事が何なのか。それが、やっとわかったような気がする。だから、今、言わなくては。 大石は、校内へと踵を返した。
早く、英二に会って伝えなくては。
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